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津屋崎飛行場跡の歴史|本土決戦に備えた秘匿飛行場と九州国防訓練場(宮地嶽神社近く)

heitai
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「津屋崎に飛行場などあったの?」
「津屋崎駅の間違いでは?」

そう思われる方も多いでしょう。

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実は現在の福津市津屋崎・宮司エリアには、太平洋戦争末期に整備された、旧・津屋崎飛行場が存在していました。

  • その規模は、東京ドーム約24個分に相当する大きさでした。
  • 当時、アメリカ軍はこの飛行場を「福間飛行場」と記録していました。

私の実家は、旧・津屋崎飛行場のすぐ近くです。
かつて滑走路だった交差点を、日常的に車で通っています。

津屋崎飛行場の滑走路が交差していた的岡信号

何気ない的岡信号の交差点が、80年前には軍用機の発着を想定して造られた場所だったとしたら、風景の見え方は少し変わリますよね。

今回は、宮地嶽神社から徒歩約5分に残る
「津屋崎飛行場跡」の歴史と現在を紹介します。

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本土決戦と福津市・津屋崎飛行場の役割

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私は2〜3年に一度、鹿児島県知覧町にある知覧特攻平和会館を訪れ、特攻隊員の遺書や資料から歴史を学んでいます。

1945年の太平洋戦争末期、日本は連合国との本土決戦計画を準備していました。連合国軍が九州に上陸した場合、日本国民総動員で迎え撃つという作戦です。

津屋崎飛行場も、その一環として整備された秘匿飛行場のひとつでした。

もし本土決戦が行われていたら?

もし本土決戦が実行されていたなら、
この津屋崎の地からも特攻機が出撃していた可能性は否定できません。

もちろん、実際に出撃が行われた記録は確認されていません。

しかし当時の戦況や飛行場整備の背景を考えると、そのような役割を想定していた可能性は十分にあります。

1945年8月15日、昭和天皇の玉音放送により日本は降伏し、本土決戦は行われませんでした。

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だからこそ、今も残るこの道路や交差点は、「使われなかった滑走路」として静かに時代を伝えています。

アメリカ軍は福間飛行場と認識していた

出典先:津屋崎飛行場(Wikipedia)米軍による航空写真(1945年3月29日撮影)

アメリカ側の航空写真を見ると、位置的に現在の的岡信号あたりが滑走路の交差地点と分かります。

  • 2本の滑走路が交差している
  • 位置的に現在の「的岡信号」付近が交差点
  • 周囲は当時ほぼ農地で、直線的に整地されている

当時、アメリカ軍はこの飛行場を「福間飛行場」と認識していました。

既存資料による滑走路の規模
  • 北西―南東:約3,400フィート(約1,030m)
  • 北―南:約2,100フィート(約640m)

この長さは、写真上でも道路距離や区画幅と比較することで概算できます。

津屋崎飛行場はなぜこんなに大きかったのか?

1942年、ガダルカナル島の戦いにより戦局が悪化すると、日本は本土防衛体制の強化を進めていきました。

その流れの中で、津屋崎にも軍事訓練施設の整備が計画され、「九州国防訓練場」と呼ばれる施設が設けられたとされています。

この九州国防訓練場が、後の津屋崎飛行場になるのですが。

1944年12月に九州国防訓練場は開場し、地元をはじめ各地から集まった約3,000人の青少年が参加し、高射砲訓練や落下傘降下演習など、さまざまな軍事訓練が行われたと伝えられています。

九州国防訓練場は東京ドーム24個分相当の大きさだった

出典先:津屋崎飛行場(Wikipedia)米軍による航空写真(1945年3月29日撮影)

九州国防訓練場の敷地は約113ヘクタール。
東京ドームに換算すると、およそ24個分に相当する広さでした。

1944年12月に開場した九州国防訓練場ですが、
戦局のさらなる悪化に伴い、わずか4か月後の1945年4月、陸軍へ献納されます。

そして本土決戦に備える秘匿飛行場へと転換されました。
こうして、津屋崎飛行場は誕生したのです。

忘れられる歴史を残したい

津屋崎飛行場の滑走路の中心は、現在の「的岡信号」の交差点にあたります。

いまは福岡県道502号線として、多くの車が行き交っています。

宮地嶽神社から徒歩5〜10分ほど。
観光で訪れる方も気軽に立ち寄れる距離です。

何気ない日常。
何気なく通り過ぎる交差点。

しかし約80年前、この場所には日本の国防に関わる重要な施設が存在していました。

近代史に関心のある方は、
ぜひ一度、的岡信号に立ち、当時の風景に思いを巡らせてみてください。

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いま目の前に広がる道路の下には、確かにあの時代の歴史が刻まれているのです。

さいごに

津屋崎に飛行場があった――
いまでは想像しにくいかもしれません。

しかし、現在の的岡信号は、
かつて秘匿飛行場の中心でした。

その前身は、東京ドーム約24個分の広さを持つ訓練場で、多くの若者がここで訓練に参加していたと伝えられています。

歴史は遠くにあるのではなく、私たちの日常の中に静かに残っています。

まこと
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宮地嶽神社を訪れた際は、少し足を延ばし、その風景に立ってみてください。きっと、違う景色が見えるはずです。

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